渚&藤林姉妹&智代完全無視で話を進めたら、
今度は春原兄妹シナリオに進行しました。
このまま全員のシナリオに一分の隙もなかったら
CLANNADは史上最高のゲームと呼ばざるを得なくてある意味困っていたんですがw
やっと突っ込めるシナリオが出てきて一安心です。
・春原兄妹
と言うかこれは春原陽平シナリオであり、
妹はただのおまけのような気がします。
まあ妹がいないとギャルゲにならないんですけど。
このシナリオはステロタイプであること
が逆に非常な欠点になっていますね。
ステロタイプ。CLANNADでは語ることが多そうなので、
一応この場で定義付けしておきます。
ステロタイプ(ステレオタイプ)の意味自体は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97wikipediaの↑の人間やキャラクターの類型化
と言う項目を呼んでもらえれば意味はつかめるかと。
しかしwikipediaにこんな主観的な文章載せていいのかw
ただ私がCLANNADでステロタイプ的なキャラ、
と呼んでいるのは上記の意味とは少し違います。
主人公や渚や藤林姉妹も、ある意味でステロタイプ。
ギャルゲのお約束なキャラ設定ですからね。
ただ、CLANNADの顔無しキャラに関しては、
お約束なキャラ設定と言う括りでは呼びにくい。
CLANNADの顔無しキャラは、ステロタイプでなくてはならない。
顔無しキャラに、その人ならではの人間味を持たせてはならない。
おそらくCLANNADの作者は、こう言う縛りを
意図的に取り入れてるのではないかな。
つまりCLANNADの顔無しキャラは人間ではない。
何も考えないし、何も成長しない。
同人作品のような書き手のレベルが低い作品だと、
サブキャラに人間味が全くないことが良くあります。
しかしそう言う作品とCLANNADは、全く違うもの。
CLANNADは、顔無しキャラにも人間味を持たせられるのに
あえてそれをしていないわけですからね。
なぜそう思えるのか、と言うと。
幻想世界の"獣"=現実世界の顔無しキャラですから。
わざとやってるわけです。幻想世界を作るために。
まあ私はまだ幻想世界を終えていないので。
この話に関しては完全クリアした後に書きましょう。
話を春原兄妹シナリオに戻します。
CLANNADは顔無しキャラを
意図的にステロタイプにすることにより、
世界は自分と彼女二人きりと言う状況を作り出しているわけです。
他キャラが全員記号でしかない、と言うのは
他キャラが一人も出てこない、と言うのの数倍強烈。
結果として強制的に、世界は自分と彼女だけで
収束していくことになってしまいます。
恋愛にはめるには最適な状況でしょう。
と言うか酷いゲームだよこれは本当にw
しかし逆に言うと、この世界設定では
恋愛以外の人間関係が全く語れなくなる。
特に友情話は作りようがありません。
愛情は最終的に二人に収束する、つまりは
閉じる世界ですのでこの世界に合っていますが。
友情は基本的に、広がるものです。
閉じる友情なんて、アッーとしか言えないw
世界に二人だけ残された少年少女の愛情物語と言うと美しい話っぽいですけど、
世界に二人だけ残された少年二人の友情物語なんて本当にあっち系の想像しかできません。
春原兄妹シナリオによって春原との友情は
きっちりと描けたとは思うんですけど。
周りの世界が閉じてしまっているので、
これ以上進展を起こしようがないんですね。
仮に周りの世界が開いていく状態なら。
つまり顔無しキャラに人間味があれば。
友情をきっかけにして主人公も春原も
先の世界へと進んでいけるはずです。
しかしCLANNADの世界は開いてはいかない。
だから友情を描くことはできない。
友情は過程であって、結論にはなれません。
と言うことで、残念ながら春原シナリオは
他の友情を描いた作品よりも優れている、とは呼べませんね。
もっとも、CLANNADのテーマが閉じる世界であるなら
このエンド以外に進めようがないのも確かですけど。
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