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さらさ la 3rd

XBOX中心のゲームプレイ日記。

   

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W.L.O. 世界恋愛機構(7)

続いてはフェミルナ姉妹のもう片方を攻略しますか。

初回プレイで選択肢前のデータは取ってあるので、
最初からやり直す必要はないから幾分気は楽です。

遊園地の選択と最終選択でアリサ側を選んだら
今度は無事にアリサルートに入れました。

最終選択肢はサラサを攻略したい!と言う
強い意志がない限りはw話の流れ的に
アリサを選んでしまう人が大半でしょう。

似た者姉妹であるサラサも、あの時点では
アリサと全く同じ状況で非常に苦しんでいる。

と言うことを初回プレイのあの選択肢の段階で
察せる人はおそらくかなり少数だろうと思います。

私も服を引っ張られてようやくそれを察せたからなw

フェミルナ姉妹ルートは本来はまずアリサを選んで、
アリサルートでサラサもあの時辛かったことを知って
それでサラサルートに入るのが自然な流れかもしれません。


・第15話(アリサルート)

選ばなかった相手はいきなり死ぬ。
某CHAOS;HEADを思い出す超展開ですねw

そして滝田さんがデレて死ぬほどワラタ。

アリサルート第15話のタイトルは『画竜点睛を欠く』なんですけど、
このタイトルはダブルミーニング、つまり二重の意味を持っている。

と言うか最低3通りの解釈ができるので考えてください。
とかゲーム内のキャラに挑戦を挑まれてしまったからw

好き勝手に感想を書いている私としては
この挑戦を受けてみたいかと思います。

まずは『画竜点睛を欠く』の意味を定義付けておきましょう。

元々の故事は眼のない竜の絵を描いていた画家に対して、
その絵に眼を入れてみろと命令して眼を描かせたら
竜が目覚めて飛んでいったとか言う話が元になります。

転じて、ほぼ完璧な状態でも核となる1ヶ所が抜けると
その作品全てが駄目になってしまうと言う意味で使われる。


まず15話のアリサが画竜点睛を欠いた状態なのは言うまでもない。

完璧だったアリサなのにサラサと言う姉妹を失っただけで、
全てが駄目になって何も考えられず暴走してしまった。

これがタイトルの意味であることは疑うまでもないです。

さて、しかしこれ以外にタイトルの意味があるのか。
と言われると個人的には全く思いつかないんだよなw

主人公は色々な友達に協力を求めたけど、
滝田(眼)の協力を得ようとはしなかった。(欠いた)

滝田さんは今までヒール役を気取っていたのに
お礼(眼)を言われただけで簡単にデレたw(欠いた)

主人公の母親は主人公の一大事に対して何も聞かずに
ただ一言(眼)だけ確認した。(これは欠いてない)


とりあえず思いついたのはこんなところ。
しかしどれも重箱の隅をつついてるレベルだw

しかも結局滝田がデレて最終的に協力してるんだから、
上3個は画竜点睛ではあっても"欠く"ではないです。

"サラサを失ったアリサ"以外に『画竜点睛を欠く』の
単語が当てはまりそうな内容は15話には無いんだよな…。


そこで考えられるのは"サラサを失ったアリサ"と言う
事実がいくつもの意味を持っていると言う可能性です。

NOAのエースとしての目的(サラサ)を欠いた。
アリサフェミルナの大切な人(サラサ)を欠いた。
不思議の国に必要な登場人物(サラサ)を欠いた。


アリサはアリサ本人としての他に、エースとして、
そして演劇の主役としての自分を持っています。

他にも色々あるかもしれないけど、最低でも
この3通りの解釈を外すわけにはいかない。

これは作中で挑戦を投げかけてきた時の
『最低3通り』の台詞にぴったり当てはまる。

最低3通り。と言う挑戦の台詞を受けるなら、
私はこの回答が一番筋が通ってる気がします。


ただ私は別の解釈をしたいんだよね。

そもそも画竜点睛の故事も実はダブルミーニングです。

眼と言う一点を欠いただけで竜は竜になれなかった。
しかし逆に"絵としてはこれで完成"とも言えます。

眼を入れたら飛んでいなくなっちゃうんだからw

眼を入れない方が周りの人は竜を楽しむことはできる。
しかし竜さん本人は眼を入れて自由に飛び回りたいはず。

要するにアリサは眼を入れてない竜だったわけです。

サラサと言う枷があるからアリサは優秀なエースだったし、
アリサ本人もその場所に留まり頑張ることを望んでいた。

しかしサラサを失ったら(眼を入れたら)アリサは暴走し、
周囲の人々を傷付けて自分一人で飛んでいってしまった。

客観的に見るとアリサに眼を入れるべきではなかった。
ただ、眼を入れたアリサこそが実は本当のアリサなわけです。

アリサ(表面)はサラサを失って(眼を欠いて)駄目になった。
アリサ(本心)はサラサを失って(眼を入れて)完成した。


私はこの二重構造が解釈としては一番綺麗だと思います。

ただこれだと『最低でも3通り』にはならないんだよねw

上で書いた二重構造は表裏一体的なものなので、
もう1個追加してはい3個ですと言えるものではない。


私は『最低でも3通り』と言う台詞が無かったら
間違いなく最後の二重構造でタイトルを解釈しました。

要するに作者側がタイトルを説明してしまったせいで、
私は自分自身が望む解釈ができなくなったとも言えます。

作者は自分の物語の解釈を説明してはいけない。
と言うのがとてもよく分かる例ですよね。

読者側がどんな素晴らしい解釈をしようとも、
所詮作者ではないから"正解"ではありません。

逆に作者の解釈はどんな酷い解釈だろうとw
作者自身なのでそれが"正解"になってしまいます。

正解を決めると言うことは、それ以外の考えを
不正解だと決めつけてしまうことにもなります。

それは"プロ"の"娯楽"作品ではやってはいけないこと。

後は無駄に挑戦を挑まれるとプレイ日記が長くなるからw
そう言う意味でも作者の解釈発表は控えてくれると助かります。
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