追悼の意味を込めてiPad買うことにしました。
もちろん完全にREFLEC BEAT plus目当てなので
これが配信中止になったら買いませんけどw
他になんかiPadの使い道ってないもんかね。
リフレク(とおまけのjubeat)以外にもうひとつくらい
iPadが欲しくなる理由があれば購入の踏ん切りがつくのに。
・第10話
学園祭の2週間前に、いきなり今まで予定になかった
喫茶店を始めようとするのは色々と無茶なのではw
まあ缶ジュースだけとかなら大丈夫か…と思ったら
生クリームや生野菜を素で調理してて吹いてしまった。
食品営業類似行為は食品衛生法には記載はなく、
基本的には都道府県に管理が任されている行為です。
だからどの県が舞台かで大分事情は異なりますけど、
まあ基本的に保健所に食品営業類似行為を届けないで
学園祭で飲食店やらせると言うのはまずあり得ないはず。
届けないで万が一食中毒発生したら学校潰れかねないし、
そもそも"店をやるならこう言う届けも必要なんだよ"と
教えてやるのが学園祭で模擬店をやる一番の目的なわけで。
なまものと言うキラーコンテンツを学校で出そうとして
よく2週間で保健所からOK出たな。さすがWLO。
とか無理やり辻褄を合わせて誤魔化してみようとしたんだけど、
学園祭当日に突然やってきた部外者が普通に調理手伝ってたので
もう何と言うか弁護のしようがないと言うのが正直な所です。
ああ別にサラサたんが悪いんじゃないんだよ、うん。
食品衛生の理解が足りないこのクラスが悪いんだよ。
サラサたんの手に菌がついてないことくらい分かってるよ。
なんだったら直接舐めて証明してもいい
(落ち着こうか・第11話
と言うことで本格的にサラサたんが話に絡んできます。
ちなみに私はサラサ攻めの方がいいかと思います。
うん君は間違いなく七夕の精霊になれる素質がある。
まずはその蝶の代わりにたんざくを頭に付けてみようか。
しかしいくらなんでも主人公の性格変わりすぎじゃないか。
今まで散々色々な女生徒とのフラグをへし折ってきたのに、
なんでサラサは出会った直後から全力で口説こうとしてるんだ?
いやその気持ちは非常によく分けるけどな!
いきなりサラサと出会ったらそりゃ熱くなるよ!
ある意味では今までで一番主人公の行動に共感した。
シナリオ的には段々面白い展開になってきたものの、
相変わらず誤字脱字まみれなのがやっぱり気になるな。
それと"独特の表現を連発する"って言うのも
頻繁に起こると結構気になるんですよね。
例えば『二の句が継げない』と言う表現は別に変ではない。
まあ文語的な文章なら普通に出てくる表現でしょう。
ただ
僕は二の句が継げなくなった。
そして彼女も二の句が継げなくなった。
その状況を見ていた人も二の句が継げなくなった。
と連発されるとそれしか語彙がないのかと突っ込みたくなるw
いやこのゲームでは↑ここまで酷い状態ではないですよ。
ただ頻繁に使わない表現を連発する癖はよく見られるな。
二の句の他に『嗤う』も連発が気になった表現だ。
最初の『嗤う』は漢字を変えてる理由がきちんとあるんですけど、
それ以降無駄に嗤うを連発するから最初の理由が空虚になってしまう。
――気付いた。
気付いてしまった。そして連発で一番気になるのは↑これですねw
事あるごとにこの全く同一の表現で気付かれると
シリアスな場面がコントにしか見えなくなってくる。
・第12話
サラサが儚く見える理由は、本来この場にいてはいけない
七夕の精霊だからなんでしょうね。(←間違った伏線の解き方
11話~12話はまあそれなりにシナリオ楽しめたのと、
何よりサラサたんがかなり重要な役目を持ってるのでw
普通にシナリオの感想を書いてみたいと思います。
学園祭の演劇(劇中劇)は当然何の意味もない話ではなく、
演者当人の物語と重ねて作られているのは言うまでもない。
劇中劇は全てのシーンが見られるわけではないものの、
・アリサが不思議の国に迷い込んだ理由は主人公
・不思議の国から去る時に別れを告げるのも主人公
の2シーンを見るだけでも、アリサにとっては
不思議の国=主人公が成立してることがよく分かる。
アリサにとって主人公は不思議の国の象徴なわけです。
楽しかった不思議の国の思い出=主人公への恋心となり
最後のキスシーンで両方の思いがクライマックスを迎える。
それを演じている現実のアリサはどうなのかと言うと。
妹の看病と仕事の為に学園生活を楽しめないのがアリサの現実で、
普通の学園生活を楽しむのがアリサの"不思議の国"であることは
まあサラサ視点で散々語られてるので確認するまでもない。
『妹の看病や仕事を気にせずに学園生活を楽しむ』
のがアリサ(現実)の"不思議の国"になるわけです。
そしてアリサがその国に入れるのは、奇しくも
アリサ(劇)と全く同じ第2幕ラストシーンになる。
あの瞬間までのアリサ(現実)はあくまでサラサが最優先で
妹の看病と学園生活が両立できるとは思ってなかったんだから。
そしてそのきっかけを作ったのは現実の主人公なわけです。
アリサ(劇)が主人公(劇)によって不思議の国に入ったのと同じく、
アリサ(現実)も主人公(現実)によって不思議の国に入った。
当然アリサ(現実)も不思議の国=主人公(現実)となります。
最後に不思議の国の思い出として、不思議の国の象徴である
主人公とのキスシーンを迎えて不思議の国が終わるわけだ。
こんな風に劇中劇と現実(シナリオ)を対比させるのは
まあ物語の構造としてはかなりありふれているかと思います。
ただこのゲームはこれを二重でやってるから面白いよね。
サラサもまた『病気を気にせず学園生活を楽しむ』
と言う"不思議の国"を姉のアリサ同様に抱いています。
そしてサラサを"不思議の国"に連れ出した
きっかけもやはり主人公(現実)なんですよね。
学園祭一日目は病気だけど今日だけ許しを貰えただけの話で、
サラサが『病気を気にせず学園生活を楽しむ』ことができたのは
主人公がきっかけを作った学園祭二日目以降の話になります。
そしてサラサが"不思議の国"に入ったのも
(多少無茶な展開だけどw)第2幕ラストシーン。
かつ
(これも無茶な展開だけどw)サラサ本人も劇中劇では
代役としてアリサ(劇)を演じていると言うことも非常に重要。
アリサ(劇)≒アリサ(現実)と言うだけではなく、
アリサ(劇)≒サラサと言う構造でもあるんですね。
劇中劇の登場人物一人に二人以上の人物を当てはめるのは、
まあこれでもまだまだよくある構造ではあるんですけど。
少なくとも単なるゲームのサブシナリオとしては
十分作り込まれた展開ではないでしょうか。
そしてアリサ(本物)≒サラサの構造も組み込まれています。
似た者姉妹
(外面も内面も)であることを直接的・間接的に語って
そしてサラサの体とアリサの声で第1幕を演じ切ったことで、
アリサ(劇)≒アリサ(本物)≒サラサであることを示している。
これがないと、劇中劇最後のアリサ(劇)のキスシーンが
アリサ(本物)のキスシーンでもあることには気付けても
サラサとのキスシーンでもあることは気付けませんよね。
アリサ(劇)はサラサでもあることに気付けないと、
主人公(本物)がいきなり第二幕の台詞を言いだしたり
代役として第1幕に無理やりサラサを登場させたりと
かなり無茶な進行して作った状況が全て無駄になってしまう。
そう思わせないためにも、アリサ(本物)もサラサも
『学園生活を楽しめない所まで含めて』似たもの姉妹
なんだなぁとまで思わせておくのが必要なんだよな。
アリサ(本物)≒サラサだと劇中劇以前に思わせておけば、
アリサ(劇)≒アリサ(現実)の構造になったと同時に
裏でアリサ(劇)≒サラサだと気付くこともできるわけだ。
屋上から病院を見つめるアリサとサラサの姿を重ねたシーンが
まあ上で長々と語ってきたことの全てを一発で表現してますよね。
あのシーンも
プレイヤーよりも主人公が先に気付ける似た者姉妹要素
→夕陽の中で病院(現実)を見つめる姿が重なる
主人公よりもプレイヤーが先に気付ける似た者姉妹要素
→話のそらし方(本題への入り方)が下手と二重にしてるから印象に残るよな。
11~12話は今まで同様何の意味もない描写だらけかと思いきや、
後から考えるとほぼ全て必要な描写と言うのが実に素晴らしい。
このくらいのシナリオを続けてくれれば
ゲームと無関係な雑談することも無くなるから、
これから先は是非頑張ってみてくださいw
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