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さらさ la 3rd

XBOX中心のゲームプレイ日記。

   

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CHAOS;CHILD(8)

trueのネタバレは書いても良いものか少し悩んだ。

と言うのもここまでのシナリオの流れから考えると、
"あえてtrueを見ない"選択肢と言うのもあるわけです。

ゲームである以上隠しシナリオをあえて見ない人は少数でしょうけど、
ゲーム中でも真実を知ることはかなり否定的に描かれている上に
trueは通常のシナリオとは全く別枠で用意されている項目なので、
trueが出たけど自分は見ないと言うロールプレイをする人もいるかもしれない。

そう考えるとtrueのネタバレと言うのはあまりよくない。

とは言えネタバレしないと感想が書けないからネタバレしますけど、
trueのネタバレは確実に未プレイ者が読むべき内容ではないです。

と言うことで未プレイ者は今日の日記読むの禁止。


・true

各キャラルートクリア後に普段のシナリオとは全く別枠、
NEW GAMEの上にtrueと言う項目が新たに表示されます。

本編から3ヶ月後。「こちら側」として生まれ変わった
世莉架が大衆の目線から今回の事件を体験するシナリオです。

本編と唯一違うのは乃々がどうにか生き残っていること。

とは言えそれ以外の流れは全く本編と同一になっていて、
連続殺人事件の真犯人は主人公と言うことになっている。

横浜で暮らしていた世莉架はある日偶然渋谷を訪れ、
こちらの声が届かない学生風の格好をしている老人たちと、
そんな老人たちを収容している学園風の収容施設を発見します。


・カオスチャイルド症候群

本編に残されていた最後の謎であるカオスチャイルド症候群。

本編の最終盤に出てくる"主人公とは似ても似つかぬ若い男"
と言うのがこの真相に対する一番のヒントになっています。

前作をプレイ済の人であれば妄想の副産物として
老化現象が発生することも良く知っているはず。

そこからtrue前に真相に気付いた人もいそうな気はするな。

いや私は全く気付きませんでしたけどw

渋谷地震後の惨状を受け入れられなかった子どもたちは、
平和な日常を願って、集団で"妄想の渋谷"を作り上げた。

若い肉体も平凡な学生生活も学園も全てが妄想の産物で、
学園外、渋谷外から見ると主人公たち学園の生徒は
収容所に入っている精神の壊れた老人たちでしかなかった。

凄まじい真相だけど流石に無茶な気がしないこともない。

例えばニコ動の記者さんもカオスチャイルド症候群でしたけど、
じゃあ渋谷外の人はあの記者さんを精神病患者と見ていたのか?

それで全国区の人気記者になったのか?と思うと少し疑問が残る。

カオスチャイルド症候群については真相は明かされたものの、
具体的にどう言う状況だったのかまでは説明されていないから
(例えば結人がどうだったのかでさえ説明されていないはず)
よく言えば想像の余地があるけど悪く言えば考察しようがない。

ただまあこの症候群の詳細は物語的には深く考える必要はないかな。

「こちら側」と「向こう側」の対比をより明確にする舞台設定。


・結末

こちら側(大衆)と向こう側(学園)の対比があると同時に、
こちら側(学園)と向こう側(主人公)の対比もあります。

私が少し前の日記で考察したのは後者の方ですね。

ともかく主人公は平和な虚構よりも悲惨な真実を求めたことで、
虚構を打ち破りカオスチャイルド症候群から生還できました。

主人公は生還したことでこちら側だと思っていた学園が
一般社会では向こう側に位置する存在だと気付いて、
他の学園の生徒も世莉架と同じように救おうとしました。

そして学園は虚構を打ち破り向こう側の存在ではなくなった。

個人的に"老化が元に戻らなかったら"大絶賛してましたけど、
流石にギャルゲ媒体ではそこまではできなかったようです。

真実はあくまでも最後まで救いがなかった方が良い。

主人公は真実を知る者として殺人犯として裁かれることを受け入れました。
世莉架以外のヒロインも真実を知っているから素直に日常を楽しめなくなった。

では、日常を楽しめる普通の人として生まれ変わった世莉架は、どうなのか。

それでも悲惨な真実を知りたいと願うのか。
それに目を背け虚構の平和を楽しむのか。


・ラストシーン

後先考えない子どもだったら真実を追い求めたかもしれない。
でも、大人は嘘つきだから。嘘が必要だと分かっているから。

世莉架が誕生したAH総合病院の前で、最後に彼女はこう言うわけです。

知らない人です、と。

全てを知り悲惨な真実に一人で立ち向かう『情強』の主人公と、
何も知らずに平和な日常生活を楽しむ『情弱』になった世莉架。

二人は生きていく世界が違い、そしてもう二度と交わらない。

世莉架と主人公が交わる時は世莉架が真実を知った時であり、
(知ったことは忘れられないから主人公は『情弱』になれない)
"真実"を世莉架が知ってしまったらもう平和な日常は送れません。

世莉架―─自分の分身であり親友を『情弱』の世界に置くことが
主人公の願いであり償いであるから、もう二人は二度と交わらない。

だからこそ世莉架は真実に気付いていようがいまいが
知らない人です、としか回答することができません。

今作のテーマが最後のシーンで最も克明に表現されています。


まあただあえて言うとギャルゲーのエンドではないよなw

Wヒロインの内一人は別人になりもう一人は二度と交わらない存在になる。

CHAOS;HEADのエンディングは何だかんだでギャルゲだったけど
CHAOS;CHILDのエンディングはもう完全にギャルゲの否定です。

そう、だからこそ最後に言いたい。

尾上…お願いだから…

僕にらぶちゅっちゅを与えてよ。それを叶えさせてよ。

よろしくお願いします黒せりさんw
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