と言うことで。CLANNAD最後の感想は、
幻想世界を書くことになりました。
幻想世界とは何だったのか?
人形とは何だったのか?
少女とは何だったのか?
これがCLANNADの話の核であり、
感想を書くならこれに答えないといけない。
だけど。正直自信がないなw
とりあえず。私が何のネタバレも見ずに
想像した世界の流れでも書いてみます。
・CLANNADの世界
"世界"が意志を持つ
↓
幼少の渚と秋生が世界の意志に触れる
秋生の渚を救いたいと言う願いに、
世界は渚に命を与える
↓
渚は世界の命で生きているため、
世界の終末=冬とともに死ぬ運命となる
↓
渚は自らの体から生命を生み出す
それは渚を生かしていた世界の命であるから、
それを生んだ後渚の生は閉じる
世界の命である汐が人間として生まれる
↓
世界の終末=冬とともに汐は生を閉じる
↓
世界の命=汐は
幻想世界=世界の意志のいるべき世界に戻る
↓
主人公(だった光)が、恋人であり娘であった
世界の意志である少女を救う為幻想世界に生まれる
↓
少女は救えず、代わりに主人公は
全てが始まる前の世界に戻る
↓
延々とループ
↓
様々な物語で人々が自分たちの世界を愛すと同時に、
世界の意志の一部=光の玉が生まれる
↓
人々が世界を愛すことで世界の意志は形造られ、
世界が形造られたことで渚の命は救われる
↓
渚と主人公もまた、世界を愛す
たくさんの光の玉が生まれ、世界が生まれる
↓
エピローグ
これで…いいのかな。
大筋は間違ってないと思うんだけど、
やはり引っかかる所があるな。
まあ人の思いが世界の意志を生み出して、
世界の意志が奇跡を生み出すと言うのに間違いはないはず。
思いが強ければ形造られ、思いが消えれば消えてしまう。
風子シナリオを例えにすると分かりやすいです。
風子もまた、世界の奇跡によって
救われているんですよね。
だからこそ、世界の意志の入っている
渚だったり汐だったり最後の少女だったり
だけにほわほわしているんでしょう。
あっ。
世界の意志=ヒトデ説。
まあそんな説はおいといて。
風子シナリオはむしろ光の玉がないとBADエンドで、
真end時に光の玉が消失する展開にしたら良かったような気もします。
と言うより風子を他のキャラと一緒に扱うのに
かなり違和感があるんだよなぁ。
って、なんで風子の話を延々としてるんだw
流れを引き戻して感想を書きます。
人々がそれぞれの家庭を作り、それが町を生む。
人々が家庭を愛し町を愛すことで、町の意志が生まれる。
そして町の意志が、人々に奇跡を与える。
こう書くと非常にファンタジックなんですが、
冷静に読めばこれはそんなに非現実的ではない。
現実的にすると、CLANNADでは古河パンがそうですね。
古河の家族が家庭を愛し町を愛すことで、
町の人々もまた古河の家族と町を愛し、
そうなることで奇跡が起こるわけです。
奇跡って本当の意味で奇跡が起こるわけじゃなくて。
人と人との繋がりから生まれる小さな幸せ。
自分では生み出すことのできない、新しい幸せ。
その程度のものと捉えていいと思います。
逆に幻想世界では少女と人形が家族を作りましたが、
それはなんて物悲しい存在なのか。
周囲を愛せない。それは実に物悲しい世界です。
周囲を愛すことでより多くの幸せが生まれて、
いつまでも町は、世界は終わらない。
これがCLANNADのテーマ。…だよね?
実際の所全然違ったらどうしようかw
本当にあらゆる情報を遮断して本編だけを読んだので、
実の所は全然違う意図で作られた作品なのかもしれません。
まあ私はそう捉えました、と言うことです。
なので私はこれから先、
CLANNADとはなんですか?と問われたら
CLANNADは家族ですと答えることにしますねw
まあCLANNADは人生と言うのも、
それはそれで似た表現ではないかと。
むしろCLANNADをプレイした後に
CLANNADはギャルゲー
としか思えない人にはなりたくないです、私は。
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